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態度

イースタン建築設計事務所

11-11-2009

 


 

【Q1】

         イースタン建築設計事務所のなりたちを教えてください。

【A1】

中村安奈と神野太陽が共同で、2003年、京都で立ち上げた。小さな事務所で、スタッフを含めて、4人で仕事をしている。立ち上げ当時、山のなかの小さな集落にある個人住宅と、10万人収容の、2008年北京オリンピック・レスリング競技場「Light Thread-光の通路-」の設計から始めた。小規模と特大規模の建築とを同時に設計することから、イースタンは始まった。山の中の住宅「水平の家」は、2007年に一旦完成したが、住人が住みながら、今もつくり続けている。

【Q2】

            "イースタン"という名前は、あなた方の哲学の最終的な到達目標のようです。説明していただけますか?

【A2】

京都は東洋・アジアの歴史の宝庫として有名である。しかし、実際は、人口の比較的少ない小規模の地方都市である。一般的に言って、世界の文化の中心は西ヨーロッパやアメリカである。日本の中心は東京である。京都は、国際的にも、国内的な意味でも、2重の意味で“中心ではない”。それがよいと考えた。ここでこそ、世界中の人々が感動し得るものがつくれると。

 

"Eastern"とは、“はじまり”の意味で名づけた。東は太陽の昇る方角であり、1日の始まり。東は太陽のはじまり、光のはじまり。夜が明ける、それは、…東から。希望である。また、'Eastern'とは、東洋・アジアの建築家という意味もある。日本という国境を越えて、東洋の建築家として、東洋的な建築の質を世界へ向けて発信したい。

 

【Q3】

         スリットは、あなた方の建築の特徴となっていますね。 いつからスリットを探究しようとはじめたのですか?

【A3】

スリットは、敷地条件の悪さを克服する。…人々は、風光明媚なところに住んでいるわけではない…、逆にそれを建築の魅力に変える。そういう力を模索しているときに生まれた。

 

地方都市に生きる私たちと施主たちがつくる建築の敷地は、美しいランドスケープの中にある場合は少なかった。現代の都市における、見るべき自然がすぐそばにない場所、中小の建物が建て込んだ下町、周囲が寂しげな、だだっ広い駐車場のなか、代々その場所にへばりつくように住んでいる人々が、開発から身を守るようにその場所の記憶を引き継いでいる町の片隅、もう誰も振り返らない、息子や娘が仕事を求めて出て行ったまま帰ってこない、田舎の街道沿い、そんななかに生きている人間のなかに、“詩”がある。そこに、“自然のドラマ”がある。それを、どうやって、再び、人々に返してあげることができるだろうか? 場所を大切にするという思いを。その役割を“形”がうけもつ。スリットは、その光であった。その光を徹底して使うという方法で、この考えを宣言した。それが、「スリットの家」である。庶民の生活という世界中に共通する光に、再び、希望をもたす。そうであるから、それは、光の光である。

 

【Q4】

あなた方の仕事のほとんどは、日本と中国が敷地です。都市構造、文化、ライフスタイルなどのうち、どういった側面が建築のデザインに関係すると考えますか?

【A4】

建築的造形を考えるのに、もっとも重要な要素は、規模である。私たちの中国の仕事は、3万平方メートル、10万人収容の競技場。日本での仕事は、個人住宅か、今のところ、1000平方メートルまでの中規模の建築である。この規模によって、両者の造形の質は大きく変わる。その質の違いはここでは触れない。

 

日本の個人住宅において、建築の彫刻的な面を左右する要素として、土地と道の関係がある。あらゆる土地が、あらゆる人間が、外部と接するはじめての場所は、道である。隣の家が迫っていることや、敷地の両側に人の歩く小道のあることや、裏の土地へ通り抜ける細い通り道が、かれらの生活の歴史の内にできていることや、山の集落の「つきあい道 a communal alley」を、…これは私たちが大切にする言葉である…、庭の中に通すことなど、中小規模の建築の在り方は、町と人と道の、それらの形の在り方なのだ。

 

【Q5】

 あなた方の哲学は、西洋世界に適用されると考えていますか? 西洋の人々は、広い窓のない家を受け入れにくいかもしれません。西洋の人々は、どのようにあなた方の建築を理解すればよいでしょうか?

【A5】

私たちは2つのことを目指して建築をつくっている。

 

1. 形の必然があること。

2. 住人が、“天下をとったような気分になる”こと。

 

1について。

なぜ、また、どんな理由から、その形が生まれたか、その由来が、はっきり言える。それにもかかわらず(はっきりしているからこそ)、詩的な、未知な、感覚をもたらす形を選ぶ。

2について。

“天下をとる”というのは、建築をつくること、建築を手に入れることによって、自分の世界、自分が生きてきた間に、知らず知らずのうちに身についた、ひそやかさ、居心地、たたずまい、野望、独立心、意地、怒り、疎外感、あるいは場所と自己との親密感、そういう自分だけの世界を手中におさめたような気持ちになれるということである。

 

この2つのことは、世界に共通して理解できる、建築をつくる動機である。なぜなら、次のように言えるからだ。すなわち、敷地の周りがよくないとき、そこに大きな開口を開けたところで、ガラスを多用してスタイリッシュな演出をしたところで、人は自分の世界を手に入れたとは思わない。自分の感性が守られていないところで、だれが心を開くことができるだろうか。

 

私たちがつくったものは、例えば、

 

・幅14センチメートル、60本のスリットがつくる光の光。

・建築を光が貫く瞬間に、その光がうごめく波、

・小さなミシン目のような円窓がつくる十字、刻々と動く光の十字、

・子供が追いかける精霊のダンスのような光と影のストライプ、

・木のなかに住んでいるような開口、

・山々とそこにいる神々の飛翔を見渡す細い、長い長いスリット。

 

実は、これらの言葉(建築を試作することで頭に浮かぶこれらの感覚)は、だれもが理解できる情景なのだ。人間は似ているところがある。土地に根ざしたものを深く掘り下げると、地下水が湧き出るように、日本でもポルトガルでも天津の片隅でも、メキシコのスラムでも、感覚しうる。そういうわかりやすい効果を、建築の開口の表現に求めたのだった。

 

私たちが大きな窓を(今のところ)つくらずにおり、スリットや円い窓や細い曲線だけで建築をつくるとき、“秘めたる内庭”をそのなかにイメージしている。その“もう一つの場所”は、世界から切り離された外部となり、(逆説的であるが)、建築の内部に囲まれた場所となり、それゆえに、自己の空を近くに手にし、雲の動き、太陽の向きを、際立たす。

 

【Q6】

         あなた方の建築は、内部の住居空間が詩的な彫刻のようです。 どんな要素が、このようなスピリチュアルな雰囲気をつくり出していると思いますか?

【A6】

私たちの建築の内には、秘めたる空間がある。私たちの場合、秘めたるところは、庭であったり、ぽっかり開けた空であったりすることが多い。そこに、住人の幸せや孤独が集まっている。自然や光が集まっている。そこから…、秘めたる内庭から、外へ出て行く道があって、それが、家のプランを左右したり、町との関係をつくったりする。町とつながる、その道を、その住人の生活を象徴する光で照らす。

 

 

1. 「紋所の家」では、主人の職は着物に紋を入れる日本の伝統工芸であった。その紋の複雑な文様はすべて円からつくられる。それを象徴する円い光の十字が、生活を照らす。

 

2. 「スリットの家」では、古い田舎の街道沿いに住む、80歳の女性が持っているひそやかな生き方を、建築が表す。夜明け、午前11時、午後、夕暮れ、そして夜と…、繊細に変化する光の連続がある。スリットからの光がつづく、長い長い通路の中を。

 

3. 「水平の家」では、集落から山々を眺めて生きる360度の展望を得る、横に長く続く開口がある。

 

4. 「西八條邸彩丹」では、その場所は、日本中世の文学「平家物語」に出てくる一角にある。施主の思いは、その歴史を引き継ぎたいというものだった。その難題を、この建築の造形が表す。木の不滅性が。この集合住宅に住む人々は、木漏れ日の中に暮らしたことを忘れずにいてくれるだろう。

 

5. 「ストライプス」では、新興住宅地の十字路で交わる、母親と子どもたち、お年寄りたち、この施設が病院であることから、ここを訪れる市民のだれもが通り抜ける、街に解放された道を、建築の中に通した。そこをゆらゆら揺らめく光と影で満たした。

 

6. 「スリットの庭」では、京都の下町の近所づきあいの舞台である、小道があって、小道を建築に招き入れた。この街の名「墨染」の由来、「薄い墨色の桜の木」をくぐって行く道だ。その奥に秘めたる内庭をつくった。個々人が守ることができる、開発というものによって失うことなのない、秘めたる開放地をつくった。その曲線のスリットが美しい窓辺をつくった。その造形が、空の光を地面まで招き寄せてくるように。

 

建築のなかに通した道や、確保した内庭でおこる出来事は何か。

 

・近所づきあいである。それは、人々とその場所の風習である。日常である。

・あるいは、土地の祭りである。それは、予定された事件である。非日常である。

 

私たちの建築には、秘めたる内庭がある。秘めたる道がある。こんなものがあるとは思ってもみないところに、隠された美しい世界がある。その秘めたる場所、秘めたる雰囲気、秘めたる造形、秘めたるプランの在り方が、私たちの建築を、洞窟住居のように見せたり、山の中にひっそりとつくられた石庭の如き印象を与え、茶室のような雰囲気を持ち、あるいはまた、ゴシック建築に差す朝の東方からの光を思い出させたり、モロッコのフェズの玄関の庭に落ちる直射光を思い出させたり、アフリカの石層住居の窓を思い出させたり、ヨーロッパの民家の台所や、農家の納屋、馬小屋の草の上に落ちる削げかけた小窓の板の隙間から入る光を思い出させたりする。秘めたるものへの志向は、世界共通なのだ。それを表すから、世界の人々から、私たちの建築は理解される。

 

だが、注意深く見ると、この秘めたる内庭には、3種類ある。

 

1. 町に開放している場合(水平の家、ストライプス、スリットの庭)

2. 完全に個々人の生活の場の内にあり、ぽっかり開いている場合(スリットの家、紋所の家)

3. 庭の代わりに、町と家とをつなぐ、道が、開放されている場合(紋所の家、西八條邸彩丹)

 

町のつきあいのある人々が、その建築の中に入ってくる。すなわち“3番”の場合、そういう道や庭をつくる場合、それは、集合住宅であったり、その主人の職業が町とのやりとりを必要とする場合である。

 

そうではない場合は、内なる、秘めたる空間は、空に向って開けられている。人は、空気や雲や風や音や香りを通して、自分の幸せな時間が、町の中に息づいていることを知ることができる。

【Q7】

         あなた方の日常の刺激になっているものは何ですか?  どの建築家と芸術家があなた方の仕事に影響を及ぼしましたか?

【A7】

人と食事をすること。匂い(アウラ)や息づかいを共にするとき。

 

これから建て替える、取り壊す前の施主の家を見て、その古い木材でつくられたテーブルや、出してくれるお茶の香りや、スープを暖め、その人が会話をリードしたり、食器を片づけたり、空調されていない空気を感じとり、花を運んで来てくれた部屋を見たり…、それらの共有される息づかいのなかに、個々人が大切にしている“祝祭”の感じを目の前にしたとき。…そのとき、私たちはデザインの方向性を見つけていると思う。私たちは空間に耳を澄まし、場所にキスする。

 

一度見てみたいと思っているのは、アルバロ・シザの「ボア・ノバのティーハウスとレストラン」である。そこで海の匂いをかぎたいと思う。方角を感じたいと思う。どういうふうに海が見えるのか、見たい。

オスカー・ニーマイヤーも好きである。

さらに、京都の古寺、茶室、庭。私たちの建築にはどことなく日本建築の空気があると言われるが、それは、いつもこのようなものを見ているからかもしれない。

 

【Q8】

         あなた方は今後、どんな可能性を探求したいですか? 今、どんなプロジェクトをしていますか?

【A8】

1. 地盤面(大地)を造形し、大地的な建築としたい。そこに、天空的な場所、あるいは、広々とした開口を合わせてつくること。そして、そういう場所にめぐりあうこと。

 

2. その住人の人生を完璧なまでに象徴したプランを形にすること。その人の特殊な物語を語れば、それが自然に建築のプランを語っているというような。そして、そういう変わった人間にめぐりあうこと。

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